フォトアルバム
ブログ powered by TypePad

読んだ本

クリック募金です。よろしく

  • クリックして募金してください。

クリック募金、ここからもできます。

  • これもクリックしてね。
    クリックで救える命がある。

これも押したってんか~

  • クリック募金第3弾
    イーココロ!クリック募金

ニコン ネクスト ブログツール

  • 世界中の写真をみてみよう

2012年1月 8日 (日)

不動不滅って?

「不動、不滅の真理」って何だろう?

その答えは私の意識が拡大してそのレベルに応じて理解できるらしい。

私もそう思う。

 
「不動不滅」の言葉を聞くと「動かない、滅しない」って意味のように感じる。

果たして本当に「動かない、滅しない」のか????

昔、一緒に遊んでいた男から言われた事がある。
 
 
 「しょーもないプライドなんか捨ててしまえ」「お前にはプライドが無いのか?」って。
  
 

プライドを辞書で調べてみると

「誇り。自尊心。自負心。」

[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]より


 
らしいが、この当時相手が言いたかったのは「こだわり」と言う意味で使っていた感がある。
 
 
 
私から言わせると「プライド(こだわり)を持たないって言うプライド」を持っていたつもりであったのだが、そう言った観念は持ち合わせていなかったようだった。
 
 
選挙で投票に行かない人が居る。
 
投票しない事で「私は選んでいませんから」と言う。
 
 
しかし、それは違うと私は思う。
 
『「投票しない」と言う選択肢』を選んでいるのだ。
 
 
 
同じ事例は山のようにある。
「賛同しなかった」「反対しなかった」「同意しなかった」・・・・・・・・・・・・・。

みんな同じ。
 
 
関心を寄せないって選択肢を選んでいるのだ。

 
理由は色々。

「難しくて判断できないから」「理解できないから」「好きだから」「嫌いだから」「自分には関係ないから」「偉い人がそうだと言ったから」「尊敬している人がそう言ったから」‥‥。

どれも全く同じ。
選ばないと言う選択肢を選んでいるって事が分かって無い人の方が多いんじゃー無いかな?
  
 
 
でも、ちゃーんと選んでいるのだ。
選んだからには責任があるのだ。

 
って事ですね。
 
 
同じように、過去のどこかで「無」についても同様の答えを自分の中で見つけた事があった。
  
   
  
 
「有」と「無」

 
 
 「有」は「ある」で、「無」は「ない」と、ずっと考えていた。
 
「無から有が生まれた」と聞くと「何にもない所からどうして色々なものが生まれ、有るが出来るのか?」ってずっと思っていた。
 
 
或る時、ふと。。。ちがうわ。ちがう。
 
「無」は『「無」が有るんだ』って思った。

  
  
「無」って呼ばれているものがあるのだ。
 
「無」は動き(振動数)が私達の想像できる最少の状態。

「有」はその動きが解放された状態。

 
 
 
そう考えると「無から有が生まれる」は理解できる。
 
 
つまり「振動数が想像できる限り最小の状態からその動きが解放された状態に成る」って解釈。


 
 
 
 


 

続きを読む "不動不滅って?" »

2012年1月 4日 (水)

コーヒーを飲みに入ったお店で

今日は二上麓にある公園行った後山麓沿いにあるフルーツメインに提供しているお店でコーヒーを飲んできました

 

山のなので吹き降ろしが厳しい場所にあるんです。以前にも入った事があるお店でしてその時に夏でした

夏向きの良い感じのお店だなぁってのが第一印象でした

お店の名前は お猿の名前でも有名なんじゃないかな同じ名前です

 

駐車場からお店の前に着くまでにとても酷い風が吹いて居ましたふとドアを見ると風の力で店内の方へドアが押されて隙間風がビューっと入ってました

 

寒さから逃げて来たのにこのドア嫌やなぁって思いながらも店内に入ってしまいました

 

店内では入口から一直線の奥のテーブルしか空いて居ませんテラステーブルは開いていましたがこの強風の中テラス温かくなれるとも思えず仕方なくそこへ座ってしまいました

 

その後強風でドアが開く事を防ぐ為にウェイトレスさんは工夫していました店内の玄関マットを山折りにしてドアが店内側に開かないように防壁作ってました。 

 

私はこの地形から見たら冬に風が吹き降ろされることぐらい知らなかったのかな思いました外に向かってだけ開く構造のドアも有ったろうにとも思いました

 

私はカフェオレ家内はロイヤルミルクティ頼みました

後ろでガタン、ガタンダラララララァジュ、ジュ、ジュ、ブルブシュ、ブシュって音が聞こえて来たのでなんだろう?」見るとテラスの屋根に使われている波板が強風で煽られていました

固定金具が外れていた訳では無いのですけど余りの風の強さに負圧上に引き上げられては金具の力で元に戻されて負圧で上に引き上げられて・・・繰り返していたのです

 

まるでジェトコースター終点居るみたいだな話しました

 

そんな話をしてたらミョーにそのお店の事が目について来まして・・・。へぇ。

 

料理を載せるお皿が大きいのですワンプレートにお料理を載せて提供しているのですけど手盆で客席までんでいました

トレー無いのかねぇ

自然とそんな事を話していました

私も家内もレストランで働いた経験があったのでどうしてもそう言ったところに目が行きやすいのでしょうね。悪い癖だと思います

さっと目を走らせると樹脂製のトレーは従業員の倍ぐらいの数が積んでありました

そのついでに厨房付近に目をやると従業員の数がやたらと多い事に気が付きました

何人で回しているのだろう?」

次にテーブル数を数えます

室内が7、テラスがテーブルで、真ん中にカウンターの様に利用できるテーブル席がかぁ」

で、従業員は厨房ホール区別が特にある訳でも無く全部で8人

 

へー、、、、、ちと多いよね

 

黒っぽい上の服と帽子は制服の様ですがズボンは自由なようですチノパン人も居ればジーンズ人も居ました帽子を被る意味も余り分かっていないようでした

 

髪の毛をくくっている人も居ましたが高い所でくくっているので意味はありません

 

私達の後から来られたお客様はテラスへ案内されていました

私ならテラスを案内されたら帰っていたでしょうね

その後室内のテーブルが空きましてテラス案内されたお客様がそれを見て移りたい言いましたそれを受けて店員は無言でした

続きを読む "コーヒーを飲みに入ったお店で" »

シヴァの葉13章その3

3回の月曜日に断食をしてお寺にお花を捧げて祈る13章の一つ目だった。

 

京都のお寺2ローソクに火を灯し祈る13章の二つ目だった。

 

そして三つ目

9日間続けて魚にエサをやる」だった。

 

今日5回目のエサやりをしてきた

あと4回来週の日曜日には終わる

12月31日から始めたので1月8日最後

 

 

最初魚にエサをやる9日間連続でそんなの簡単じゃんって思ってた

 

池は沢山あるし市役所の隣の池なら魚も居るだろういや、出来立ての頃あそこに魚が居たのを見たぞって。

 

家内が何処にいるだろうか?」頻りに話していたので市役所の隣の公園の池にいるんじゃないの?」って他人事のように話してたんだけど実際見に行ってエサを撒いてみたらエサを食べにくる魚が居なかった

 

良く考えてみると当然の事で撒いたエサを簡単に食べていたら簡単に釣られてしまう訳でそんな不用心な魚が居るのか思った

 

そうなって来ると一体どうやって魚がエサを食べたと判断できるんだろう香芝インターの近くにも釣堀があって魚は住んでいるけどそこにエサを撒いても恐らく魚は食べるだろうがそれを食べた確認する方法が無い

 

家内が思案している理由が何となく分かって私もあちこち考えてみた

すると家内が二上山下の公園池に居たよって教えてくれた

 

ふるさと公園の中に池があって昔はエサの売っていたらしい

じゃー、一回行ってみようって事で12月の初旬に下見に行った居てパンを放ると競って食べに集まって来たそれを見てて魚がエサを食べるところって結構見ていて楽しいねって思った

 

これで行ける!!

 

下見の時に物凄い勢いで集まって来てたので12月31日は楽しみにして沢山のパンを細かくちぎって用意し持って行った

 

所が撒いてみても小さい鯉は集まってきてついばむのだが大きな鯉は水面の底にゆったり姿が見える程度で、近寄って来ない

 

あれぇ、おっかしいなぁ」

もしかしたらこのパンがまずいんじゃない?

寒いから動きたくないのかも?」

夕方でご飯の時間から大きく過ぎたからお腹が空きすぎて食欲がないんじゃないの?」

前の時は自宅で焼いたパンだったけど今回のコストコ安くて大量に売ってたパンだから鯉の口に合わないんだよきっと」

 

話しながらそれでも小さい鯉が食べていたのを確認して第一日目は無事終了だって事にして帰宅した

2日目は前日の失敗をしないように昼過ぎに行った

前日とは違って大きな鯉も食べに来てくれた

3日目は小さいしかエサをついばんでくれなかった

4日目の昨日は小さい鯉が動き出したと思ったら大きな鯉も警戒する様にエサが遠くに流されてからそれを追いかける様に食べた

 

なんて個性が無いもんだと思って居たけど鯉は結構個性があるようで黒いでっかい鯉はっと水面のパンを下から静かに食べ口を出した上から見てるとへのドンドン水面に近付いてくるので見ていて可笑しかった

 

錦色のでっかい鯉は水面に自分の口が出た時のカパ言う驚いてエサを取ると直ぐに水中に戻って行った

 

同じく錦色の小さい鯉はエサであるパンとの距離感がつかめない様子で多分エサを狙って浮上してくるのだろうけれどエサから少し離れた所で口をパクパクさせていた

 

少し入ったでっかい鯉はパンと葉っぱ見間違えて葉っぱばっかり食べていた

他にも同じエサを狙って浮上して来て体が先に当たって両方ともエサを取れずに戻った鯉も居た

 

楽しかった^^

 

今日は雪模様風も強かった案の定魚は水底ゆっくりしていた

小さい赤い何匹かだけパンを食べに水面に浮きあがってきた風も強くてエサも流されて行くの大きな鯉が食べたかどうかまでは確認できなかった

私達も寒くて直ぐに池を後にした

明日も寒いらしい

でも、順番から言うと明日は沢山食べる日なんだよねぇ。

大きな鯉がカポッっと言う音を立てて大きなパンの塊を食べる姿は見てて可愛いなぁって思う

明日はそんな姿をたいなぁ

 

9日目のエサをやりに行く頃には私達の足音を聞いて集まるぐらいになったら嬉しいなでもそうなるとその後もエサをやりに行き続けるかもしれないなぁ。

 

 

続きを読む "シヴァの葉13章その3" »

2012年1月 3日 (火)

醍醐味を味わうための小さな代償

そうだったのか。

以下
___________________________

質問者: 友達にこの質問だけはエイブラハムにしない、、と約束したんですが..だって、、こういう質問を考えていると伝えたらみんなが「それだけはやめておけ」と言っていたので..でもしちゃいます.短いですから..なぜ犬は目に虫が飛び込んできたりするリスクを負ってまで車の窓から首を突き出すんですか?

エイブラハム:ああ、友達に伝えてください.我々(エイブラハムが代表する集合的霊) はその質問に答えるチャンスをず~と待ってたんですよ、と。

その答えはこうです...

目に虫が飛び込んでくるというコントラスト(エイブラハムが好ましくないことを言及する時に使う表現) はドライブで味わえる醍醐味を味わうために支払う小さな代償だと犬は知っているからです。
 


そしてそれはあなたがたがこの惑星に舞い降り肉体的体験を始めようとする時の決意でもあったのですよ。 

あなたがたはその肉体的体験にコントラストが待ちうせていることを重々承知だったのに、こう言ったんです。

この乗り物はコントラストという代償を払うだけの価値がある!」・・・・・・と。

Workshop in San Francisco, CA on Saturday, July 30th, 2005 からのエイブラハムのおしえ

All is Well.


______________________

そう言ったのは記憶にありませんが、その様な事情でこの地球に降り立ったのであれば、「今」を充分に楽しまなければ損ですね。

楽しみたいと思います。

昔の私

非常に近い過去の私は以下の様に考えていました。

以下
________________________________________________

我々(エイブラハムが代表する集合的霊) は否定的な感情にも関わらず前進することは決してありません。

しかし沢山の人があなたがたに逆の事を説いています.


「克服するためには恐怖に直面しなくちゃいけないんだ」 と言います。


そしてそう信じている人がすることは決まっています。


一体、何が起きているのかもわからい状態になるまで自分の感覚を麻痺させて、そして終わりが突如訪れるのです。


そして世間は「あの人は勇敢だった・・・」と賞賛するのです。


Workshop in San Diego, CA on Saturday, February 7th, 2004 からのエイブラハムのおしえ


All is Well.

_________________________________________________

これは間違いではないでしょうが、私が求めているものとは違うようでした。

それが理解できたのでこの様な考え方(思考)は手放すことにしました。

こんな事をしなくても自分が求めるものは手に入れる事が出来るのだと理解できた事で気持ちがホッとしました。

1%の良い事に焦点を合わせる

生きている中で上手く行っていない事の方が多いなぁ。という場合、こんな方法で切り抜けられるのだと知りました。

以下
____________________________________________


人生、うまくいっている!

周りを見渡し、上手く行っている事を見ていると「人生上手く行っている!」という波動で内側を満たし、何をやっても「人生うまくいっている!」という結果になります。

 
 
 

例えば、今、100のうち99が上手く行っておらず、たった1つだけうまくいっていることがあるとします。
 
 
 

もしその1つだけ上手く行っている事に不釣合いな程の時間をかけて全神経を注ぎ込んで、

「人生上手く行っている!」
「人生上手く行っている!」
「人生上手く行っている!」

と自分に言い聞かせていれば、残りの99の事も上手く行く様になるのです。


 
 
 

ですから、我々(エイブラハムが代表する集合霊) がいつも言うように、

祝福を数えたり、
肯定的な側面を見る

様に努めていれば「人生上手く行く」様な事を意図的に活性化させることができるのです。

それをした時にあなたは、もっと、もっと受け取ることができるのです。

その様に更にドンドン状況が良くなっていくのです。

大宇宙の秩序における至福というものを受け入れる事はいとも簡単にできるのです。


Workshop in North Los Angeles, CA on Saturday, March 22nd, 2003 からのエイブラハムのおしえ

All is Well.


_______________________________________________
以上

とても有効な道具を手に入れたように思います。

魔法の言葉

エイブラハムは以下の様に言います。


以下
______________________________________________

気分が優れないとき、立ち止まってこのように言ってみてください.

爽快な気分でいることほど私にとって大切なことはない.そうなれる理由を今探ってみよう」と。

そうすれば思考が改善されます。


否定的な感情を察知したら、そのとき必ずあなたは欲しい何かに対する抵抗を示しているのだと理解してください。

そしてその抵抗こそがあなたにとって損失になっているのです。

肉体の健康に害を及ぼし、体験の中に流れ込もうとする素晴らしいものごとを減少させてしまうということになるのです。

著書 "Money and the Law of Attraction: Learning to Attract Health, Wealth & Happiness" からのエイブラハムのおしえ


All is Well.
_________________________________________________
以上

これと同じ事をエイブラハムの本の中ではこの様に書いていました。
 
 
 
明るくて良い気分になる事以上に重要な事は何も無い。明るくて良い気分になる理由を見つけたい
  

―お金と引き寄せの法則―から。

 
 
同じ事を書いているのでしょうね。訳者が違うので使われている言葉が少し違うようです。

 
魔法の言葉です。

 

 

裁判をすることとは

私も裁判を2度経験しました。

裁判をする前に以下の文章を読んで知っていたら裁判はしなかったか、少なくとも最高裁への上告はしなかったと思います。

 
 

以下、エイブラハムとの対話
___________________________________________

殆どの裁判の場合、人は偉大なる流れから逸脱する理由を他人のせいにしあっています。

 
彼らは単に少しだけ宇宙エネルギーとのつながりが希薄でない方が勝訴するまで互いに苦しみ続ける訳です。
 

しかし我々(エイブラハムが代表する集合的霊) にしてみれば勝訴で得られる報酬がどんなに大きなものだったとしても、それがソース・エネルギーから逸脱してしまう練習であることに違いはなく、まったくその事はするに値しない事です。


Workshop in Buffalo, NY on Wednesday, September 27th, 2000 からのエイブラハムのおしえ


All is Well.
_____________________________________________
以上

なるほどね。

  
ソース・エネルギーから逸脱する練習ですか^^;
 
まったく。
 
そうだったなんて。

 
驚きでした。
 
これから裁判を始める人は参考にされた方がよろしいかと思います。
 

私が幸せで居る方法

エイブラハムの話しで以下のお話を読んだ時、私は自分の父と知人のある女性の生き方を思い出します。

 
以下エイブラハムの話し

_______________________________


あなたがたに可能な限り幸せを感じて欲しいと我々(エイブラハムが代表する集合的霊) はいつも望んでいます。

幸せで居れば全てが上手く行くからです。

例え幸せ気分で居る理由など無かったとしても、そのふりをしなさい。

空想しなさい。
 

なんとしてでもあなたは幸せで居るんだと決意しなさい。

 どんな状況でも          です。
 
 


「何があっても私は幸せ!」

「周りの全ての人を無視しなくてはいけなかったとしても、私は幸せ!」

「テレビを二度と観る事が出来なくても、私は幸せ!」

「朝起きて新聞紙を開く事が出来なかったとしても、私は幸せ!」

「私は幸せでいる。」
 
 

「その人の顔を二度と見ることができなくても、私は幸せでいます。」

「あの人の顔を見なくてはいけなくても、私はその人の顔の中に何かしら私を幸せにする何かを探し出します」

「私は幸せでいます。」

「私は幸せでいます。」

「私は幸せでいます。」

Workshop in Sacramento, CA on Saturday, March 15th, 2003 からのエイブラハムのおしえ


All is Well.

________________________________________

以上。

私の父と私の知人の女性は現状、見た事しか話しません。
 
「お金が無い」「あいつはダメだ」「無駄遣いばっかりして腹が立つ」「あいつの顔を見てたらムカムカする」「どこどこが痛い」「俺には出来ない」「そんなことやりたくない」「無理」「出来ない」「嫌い」・・・・・・。

そんな状態に思考を合わせて居たら、そう言った状況、そう言う事をする人、そう言う出来事しか自分の周りには起きてきません。正確にはそう言う体験しかしません。

それらを嫌い、体験したくないくせに自分で好んでそう言った状況を自分の周りに呼び込んでいるのです。

 
平安で居たければ「私は平安だ」と思い、その感情に浸る事です。
裕福に暮らしたければ「私はとっても裕福だ」と思い、その感情に浸るのです。
人の良い面を見つけて常に褒めたたえるのです。
 
感謝されたければ感謝するのです。
尊敬されたければ批判めいた言葉など喋らずに常に尊敬するのです。

中国の歴史や戦争ドキュメントを見ても「明るく楽しい会話」は出てきません。
そんな過去の映像や本なんかは捨ててしまえば良いのです。
 

 
事件が片付かない。と嘆き腹立たしい思いをするのであれば、それらの出来事を忘れてしまって別の道を歩み始めるのです。
  


年賀状に自分の辛い思いを書いて出すのではなく、メールで辛い現状を訴えるのではなく、楽しい事だけに焦点を合わせるように気持ちの方向を変えるのです。
 
 
今まででも、そう言った事を言って話してきたつもりですが、どうもその様な考えを受け入れたくないようです。
 


例え幸せ気分で居る理由など無かったとしても、そのふりをしなさい。

空想しなさい。

これが出来るとあっという間に打開策が見えて来るのに・・・。

2012年1月 2日 (月)

「真理の表現」はそれぞれの数だけ

エスター・ヒックスとエイブラハムの対話の好きな所です。

以下

______________________________________________

エスター(エイブラハムの代弁者) が我々(エイブラハムが代表する集合的霊) にこう言いました.
  


「エイブラハム、なぜあなたたちは(非肉体的存在)は筋が通らない事をするの?

「こちらではこう」言い.「あちらではああ」だと言う.

「偉大なる神様」に話しているんだったらなぜ神様はみんなに同じ事を言わないの?

何故みんなが同じ答えを受け取ってないの?
   

   
  


我々(エイブラハムが代表する集合的霊) は答えました.

「誰一人として同じ質問をしてないからですよ」

「誰一人としてまったく同じ意識ポイントに居ないからです」

「誰一人として同じ答えを期待してもいないのです」
  
 


わたしたちはみな恒久的存在で、違いがあることに意味があるのです.

多様性があるからこそ願望も異なり、新しい願望が沸きあがるたびに、その一つ一つが多様性の中で大切な意味をもつのです.


Workshop in Chicago, IL on Saturday, July 11th, 1998 からのエイブラハムのおしえ


All is Well.

____________________________________________
以上

 
これを読んだ時に私は喜びました。

多くの人達から

「釈迦はこう言った」「イエズスはこう言った」と聞いてきました。

聖なる書物にも似たような事が書いてありました。

しかし、釈迦はインドで生きた人で、イエズスはパレスチナで生きた人です。

時代も違うし場所も違う。

その教えは確かに「真理」から発せられたのもでしょうが、では、その言葉、その文章をそっくりそのまま今の生活での出来事に当てはめても良いか?

そこが私が宗教を一番嫌う原因です。

なんでもかんでも、「こう言われました」「こうでなければならない」だなんて、一体誰の人生を生きてるのだろうか?ってね。

 
そうなんです。
本当は生きている人それぞれが全く違うのだから万人に共通する文章や、言葉なんかある訳がない。

 
そう理解すると私はホッとするのです。

2012年1月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック